い出すに種もなかろうよ。何しろ、生れてたった五十日目に、死なれてしまったんだもの。
エッダ それあ、あの子は自分で何も覚えてはいないわ。でも、他人が云うんだもの――ヨハンが、自分が孤児《みなしご》で、阿母さん阿父さんがほんとの親でないのを知ったのだって、ハンスの婆さんに聞いたからよ。――(声を潜め)あの子の阿父さんが、狂って死んだってほんと? 阿母さんを捕まえて、泣いて逃げるのを、むりやり河へ突陥《つっぱ》めたって……ほんと?
母親 (身震いをし)止めておくれ。厭な話だ。――けれどもほんとはほんとだよ。阿父さんも、阿母んも、私達二人の若い時っからの友達で、一緒に踊ったり、氷の上を滑ったり……。楽い思いをしているうちに、かあさんは、お前の阿父さんと、一緒になり彼方《あっち》も彼方で家を持った――よく酒を飲む謡《うた》の上手な男だっけが。――恐ろしい恐ろしい。鬼が憑《つ》いたんだよ。
エッダ ヨハンは、誰からか、きっとそんなことでも聞いたのよ。だから。
母親 (ふと、戸外に耳を欹《そばだ》て)しっ!(指を立ててエッダに合図をする。さりげない調子で)もういい加減に休んだらいいじゃあないか?
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