はやっていたに違いない。けれども、緊張や熱が放散的で、内面の厚さが稀薄なように感じたのは何故だろう。
サンピエール寺院に行き、ベルトンを誘惑しようとする場面は、もう少しどうにか美化しても効果が薄くなりはしなかったろうと思う。
掻口説く声が、もっと蠱惑《こわく》的に暖く抑揚に富み――着物を脱いでからの形は、あれほかの思案のつかないものだろうか。
ベルトンが、激しい彼女の誘惑に打勝とうとして苦しむのが、却って見物を失笑させるのは、一つは、イサベルの魅力が見物の心を誘惑するのに余り遠いからではないか。常識では、まあ何と云う風だろう、と呟きながらも、心が自ら眼を誘うような独特な魅惑が、ああいう服装にはあるべき筈だし、又、あらせ得ると思う。
真個の女の人が扮しているのだから、洋服でも、河合武雄の着る洋服ではない型と味いとを見たい。
斯様な印象の後に来たので、「邯鄲」は、随分、お伽噺的な愛らしさで、目に写った。巧くこなしたものだと思う。色彩の調和が、気の利いた「犬」の舞台装置とともに、快く目に遺っている。併し、常磐津、長唄、管絃楽と、能がかりな科白とオペラの合唱のようなものとの混合《コン
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