に交響する温い心の連絡が感じられない。従って、彼女の興奮は不自然に孤独で、何処となく無理、「芝居」の淋しさが、見る者の眼に湧上って来るのである。
 若し実際の生活の中にある場合なら、到底イサベルは終りまで話し終せる気にはなれなかったろう。
 立役《リーディングロール》は一人の背に負わされていても、何かの必要から一旦舞台へ立ったら、仮令《たとい》椅子の足になっても、心をすっぽかしていてはなるまい。綜合的な舞台の芸術を真個に生かすには、只一本無駄な花があってさえ全体の気分《ムード》に関係する。濫《いたずら》な作者の道楽気は反省されなければならないと共に、群集の一人でも、此からの舞台では、仕出し根性を改めなければならないのではあるまいか。
 此時ばかりでなく、「恋の信玄」で手負いの侍女が、死にかかりながら、主君の最期を告げに来るのに、傍にいる朋輩が、体を支えてやろうともしないで、行儀よく手を重ねて見ているのも気がついた。何も、わざとらしい動作をするには及ばない。只、そういう非常な場合、人間なら当然人間同士感じ合うに違いない心を、真面目に自分の心に深めればよいので。
 律子も、イサベルを熱心に
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