へ戻りながら、
「子供、もっと放っといてやらなけりゃ」
と云った。
「愛想のいい子供なんて拵えたって、下らなかないの」
久保は、家庭のない、健康のない、慰めのない、自分の生活の苦痛を、持ち前の強情さに還元して、その力で子供も同僚も押して行くらしく思えた。久保はいろいろな手段で蒐集した藤村《とうそん》の短冊など見せた。
本館の三階に、相原の部屋があった。朝子はそこで小一時間話した。
相原は、世間で重役風を形容する恰幅であった。ただ笑うと上唇の両端が変に持ち上って、歯なみよい細かい前歯と齦《はぐき》とがヒーンとすっかり見えた。その小さい口は性格的で、朝子にいい感じを与えなかった。
相原は、先頃退職した或る男の噂をし、
「どうして罷めたのかね……いずれ何とかするように諸戸さんにも云おうと思っていたんだが」
と云った。朝子の知っている事実はそうではなかった。
「諸戸さんに、あなたが忠告なすったんじゃなかったんですか」
相原は平気で、
「ふーん、そんな風に聞えてますかね」
と云った。相原の態度と、言葉とだけで見ると、朝子の知っている事実の方が間違っていると云うようであった。
諸戸の処
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