にあるものがあるのを示し、知り、解剖するに止ることが多い。狭き我のバッコはいけないが、decision を持ち得ない砕けすぎは恐ろしいダラクの一段だ。トルストイかぶれの moral でない私の評価をもちたい。世の中に雑作なくけなされることの多いのは、――そう云う社会の中に住むことは、己惚《うぬぼれ》をまさること、更によきものに向っての努力を忘れさせる点で実にいけない。
自分の周囲を批判し、不満な点を認め得るということ丈が、既にその箇人の進んで純な所以であるかの如く誤解するからいけない。これは、私にもあり、Aにもある。
真の向上心は欠け、自らそのことを実行しない、しても渦中にないという丈で、云える批評で、安心するのは低級至極な話だ。わかって居るつもりで、私は自分のきらう口やかましく実力なき批評家の一人になりかけた。どうかしてもっと鋭き wide−awake な敏感さを持ちたいものだ。
西川文子氏の話
西川文子氏は面白い人物だ。
先ず風から見ると、頭髪をわけ、うしろでまるめるはよいが、白いゴムに光る碧石が入った大きなお下げどめをし、紺サージの洋服に水色毛糸帽同色リボン
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