て居る。
 どんな女の人と置いても大丈夫と云うのは、彼が、それを清らかに愉しみつき合い乍ら、なお堕しないと云うのではなく、女の前に出ると、先方が active でない限り、自分はコチンとして居るのを私がよく知って居るからだ。
 彼は私に対して、どう思う?
 あぶないとは思うらしい。欲情を私の側に認めず、男が独りの私に対して持つ欲情というものを随分思うらしい。自分の淋しさもあるだろう。私が彼を一人で出してやるより、彼が私を一人で出す方をいやがる。

     自分の子供というものについての心持

 自分が子供というものについて考えるのは、自分がそれを持つのを恐れるのは、自分やAが安心して親となれる人間でないという外に、林町の母達の心持にかなり影響を受けても居ると思う。母が向島の祖母と子供のことについて激しい感情を持ったのもよくわかる。

     十二月九日

 Jane Eyre をよみつつ。
 大瀧のひろ子、基、倉知の子のことを思いあわれになり、国男、スエ子、英男、自分が母を生みの母を持つことの幸福をしみじみと思った。家計が立てば、子には父より母だ。ひろ子の実際的な、感情の流露しない
前へ 次へ
全15ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング