夜の病院を書いたのがあった。それ等を切々に考え乍ら呻り声をきく、自分は猶ミカンの汁と鉱泉とをちゃんぽんにのんだ。
二日目の夜、やはり午前一時近く目をさました。同室患者の寝息――時計の音――廊下の天井をてらすぼんやりした明るさ――十数年前の夏東京の大学病院小児科の隔離室に暮したことがあった。英男が三つで疫痢を病って入院して居た。自分は十二位だった。母と病室に泊った。深夜氷嚢をかえに行くのが自分の役であった。
廊下は長かった。夏の夜に電燈があつくるしく赤っぽかった。その下をずっと自分の踵からあまる草履の音だけをきいて通り、右側の薄暗い室に入る。つめたい空気が顔をうった。三和土《たたき》の段を三つ下り、三和土の床を歩いて三和土の湯槽のように大きなものの中に氷がおがくずに埋ってあった。三和土の床も、三和土の湯槽のようなものも、みんな湿って居た。ぬれて電燈を小さくてりかえした。私は一面の夜と、無人な空気と、湿りを巨大に厳粛に自分の小さい存在の周囲に感じた。
私はひとりでにいそぐ。いそいで氷を破り、氷を破る音が濡れた三和土の床や天井に大きく反響して廊下へ響くのをきく。この静止のなかに動くのは
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