これ丈永い間病臥して半流動物の食物しか摂れない経験は始めてだ。
去年の一月、グリップを患った。熱が高くて頭や頸がこわばって一寸夢中になった。少しましになってからYが 弱るから何かおあがり、何か食べたいものをお考え と日に何度となく云って呉れた。
食べたいものはあるんだけれど、駄目。
何さ、云うだけ云って御覧。そこで私はつみ重ねた白い枕の上で 云うに云われぬ 一種の笑顔になりながら 遠慮深く答えたものだ。
つめたい素麺《そうめん》がほしい。
数年前或ところで醤油の味を殆どけした極めて美味いだしでひや素麺をふるまわれたことがあった。その味と素麺のつるつるした冷たさ 歯ぎれ工合が異常な感覚的実現性をもってモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の一米ある壁の此方《こちら》まで迫って来たのだ。
臥て居た間自分の心に最も屡々現れた民族的蜃気楼は林籟に合わせ轟く日本の海辺の波と潮の香、日向の砂のぽかぽかしたぬくもりとこの素麺とであった。
勿論我々のトランクの中に そのデリケートにして白い東方の食料品は入れられてない。自分は青葱入のオムレツをたべて恢復した。零下十五度のモスク※[
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