いでしょう。
 またこの四号には、小沢清という人の「町工場」という小説がのりました。徳永さんの推薦で、推薦者は、この作品のよい点とともにおさなさをいっていられます。なるほど、おさない、といえるところはあるかもしれないけれども、それは現実を見る眼、現実を感じる心の粗雑さを意味しているでしょうか。私はそう思いません。町工場につとめる若い勤労者としての主人公をとおして作者が社会を感じている人間としての感覚は、けっして荒っぽくありません。ひとりよがりの幼稚さももっていません。こまやかで苦労を知っていて、しかも卑屈でありません。「町工場」を読んだ人は、誰でもこの作品のさっぱりとして、しかも人間らしいつよさにこころよく感銘されるのですが、この小説も『新日本文学』の収穫として、まじめに検討し、この作者の勤労者として、そして小説を書く人としての大成を期待しなければならないと思います。
 この「町工場」の小説としての価値は、私という主人公が勤労生活のうちにあるさまざまの半封建的な、搾取的な細部を感じつつ生きてゆくそのことを、いわゆる、進歩的勤労者の自覚した認識というような観念にてらして描きださず、生きて
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