ゆく細目そのもので描きだしているという点です。ひと昔前の勤労者作家には、こういう腰のすわりがなかったと思います。身辺現実を整理するに、なにか道具がいりました。イデオロギーとか社会史観とか、こき出されたそういうものがいった。そういう整理道具なしに日常現実に体ごとはまったまま、それを作品化してゆくだけの力がなかった。足をとられるから、つかまるものがいりました。インテリゲンツィアの場合でみれば、野間宏の「暗い絵」の話のとき、有島武郎や芥川龍之介の文学にふれました、あのとおりです。実感の中にとけて入って、それが社会科学の本はどう書かれているかということにかかわらず、生活と文学そのものの中から、実感をつきつめて、自然、勤労者として正当な、したがって人間らしいテーマの発展を辿っている。
 ここが、じつに着目されなくてはならないところです。世界観と実感と二つを対立させて、モティーヴの切実さが世界観などからは出ない、という論議もあったりしているとき、文学の現実で、この「町工場」なんかは、もうその問題をある意味でとび越えた、若いすがすがしい世代が擡頭しかかっていることを実証しているんです。つまり、勤労者
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