した。プロレタリアの陣営にうつるか、同伴者として存在するか、反動にかたまるか、脱落するか、インテリゲンツィアの行く道は、そういうふうに幾通りかに単純化されていて、たとえば有島武郎にしろ、芥川龍之介にしろ、自身の生死と人民解放運動とを、あんなに深刻にかかりあわせながら、しかし、はっきり知識階級と民主精神の発展の相互関係のテーマで、作品化する力がなかった。彼らに文才がなかったのではなく、日本の社会と文学の意識が、まだ未熟であったからです。野間という作家が「暗い絵」をどういう工合に完成させるか、そしてさらに、その次には、どういうテーマで、どういう筆致を示すか、注目していいと思うのです。
このほか、新しく作品をかいた作家として阿川弘之という人があります。『世界』へ「年々歳々」、『新潮』に「霊三題」をかいていて、子供っぽい作品という批評もあったようです。けれど、ほんとうに、ただ子供っぽい、といわれるきりのものでしょうか。少くとも私は、「年々歳々」という作品の、ひねくれない、すなおな、おとなしいまともさに好感をもちました。今日の、あくどい、ジャーナリスティックになりきった、ごみっぽい作品の間に、
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