向っていず、むしろ自分のいうことにたいする外部からの反応へいつも目が向いているようでさえあります。
 この作者が「暗い絵」で深見進介の自己完成のはげしい欲求と、我執とが妥協することをけっして許さず「科学的操作」で追いつめていったとしたら、主人公の自己完成の道はどんなところに展け、つきだされてゆくでしょうか。興味があります。
 この「暗い絵」には、まだまだどっさりの過剰物がついています。文章の肌もねっとりとして、寝汗のようで、心持よくありません。しかし、作者は、どうもそれを知っているらしいんです。その気味わるいような、ブリューゲルふうの筆致が、作品の世界の、いまだ解決されない憂鬱の姿を最もよくうつすと思って、ああいうふうに書きとおしているらしいのです。
 りっぱな作品ということはむずかしいけれども、民主主義文学が日程にのぼってきているとき、一人のインテリゲンツィアとして、はっきりその課題を自分の精神成長の過程にその言葉において自覚し、苦悩して生きた作品として、やはり無視できないと思います。プロレタリア文学運動の時代、インテリゲンツィアのこの問題は、こういう筋道では文学にとらえられませんで
前へ 次へ
全57ページ中37ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング