評価して、世界観だけで文学がつくれるか、というふうな、いいがかりのように反駁を主張することは、はたして文学者らしい[#「文学者らしい」に傍点]聰明さでしょうか。どこの、どんなまぬけも、世界観そのものが小説を作る力だなどととは思いもいいもしていないときに。――
こうして、今日一部の文学者は、彼らの壮年の精力を保守反動と客観的には批評される方向に徒費しているのですが、それというのも、今日日本の民主主義の性質を、しんから会得していないからではないでしょうか。
ブルジョア民主主義の達成が眼目ではあるけれども、その歴史的担当者であるブルジョアジーというものは、日本ではヨーロッパ諸国のブルジョアジーとまったく違った経歴をもってきています。明治維新に新しい権力者となった封建領主、下級武士たちが半封建的な本質をもっていたことは明瞭です。日本のブルジョアジーというものは、そういう半封建者たちの庇護のもとに、それとの妥協で、自分たちをのし上げたのであって、階級として擡頭したはじめから、封建性にたいする否定者でありませんでした。ヨーロッパのブルジョアジーは、封建性をやぶって、社会生活に革命をもたらしたの
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