たろうとするやみがたい熱望が覚醒していないために、これらの人々にとっては自主でなければならない、という民主主義のよび声は、自分のそとから、一種の強権の号令であるかのようにきこえるらしいのです。わが身に痛くこたえているから封建的なものを嗅ぎわける神経が病的にするどくなってきている人々は、自身のうちにある近代精神の後進性は自覚しないで、同じ神経を民主主義の翹望の方向へも向けて、日本で民主主義という、そのことのうちにある封建なものを熱心にさがし出し、その剔抉に熱中しているのだと思います。
なるほど、日本はあまりおくれているから、いろいろな形、ニュアンスで封建的なものはいたるところにのこっています。最も民主的であるはずの前衛的部分にも、十分近代化され、科学化されきれない政治性というものも、のこっているでしょう。けれども、そうだからといってプロレタリア文学運動を語るとき、権力の側から組織された封建的絶対主義の破壊力として治安維持法を無視して、政治的偏向を云々する、ということが適切でしょうか。作家の目が、より複雑に現実を理解し洞察するためには、科学的に社会をみる世界観が必要であるという事実を過小
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