ようと奮いたつ感情であると思います。第二の原因は、そういう心もちがつよいのに比べて、過去の日本の市民精神の欠如から個性と社会とのいきさつを、科学的につっこんで把握する能力が育てられていないために、今日、民主主義文学といわれると、それさえも過去に自分を強制した、その強制の一変形でありそうに感じて、抵抗する心理です。しかし、この心理はいつもけっして、当事者たちによってその動機そのものを率直に示されません。昔のプロレタリア文学運動にたいする政治的偏向の批判とか、文学における世界観の課題にたいする過小評価、作家論の場合は平野謙の小林多喜二にたいする批評などのようなまったく本質からはずれた形をとります。そして、一貫してプロレタリア文学運動に指導的な影響をもった日本の前衛党にたいする反撥・自己主張の方向を暗示していることが目だちます。これは、じつに私たちにさまざまの感想をよびさまします。日本のインテリゲンツィアにはなんと自主の実感がかけているのでしょう。日本文学の精神には、なんと、自分から自分をぬけ出てゆく能動力が萎《な》えているのでしょう。文学にたずさわる人々をこめた人民感情そのものの中に、自主
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