母胎と見、それにいちおうは執しようという心持は、民主主義文学のいわれている今日の日本で独特の混乱の源泉となりました。日本文学の伝統の中に近代の意味での自我は確立していなかったのだから、ブルジョア民主主義の段階において、個人個性を確立させ、それを主張することが今日の文学の任務だという理論から、インテリゲンツィアをふくむ全人民の民主的な社会生活への推進という方向へ動かず、むしろそういう社会の潮流に抵抗して、個人をがんこにそういう流から孤立させ、社会歴史から抽象し、「個別経験の特殊性」という心理の主観的なコムプレックスに立てこもって意怙地であることに意味があるとする一つの傾向があります。『近代文学』を中心とする平野謙、荒正人その他の人々に共通な傾向だと思います。
 どういう原因が、こういう複雑な心理を生んだのでしょう。私たち日本人の文学を、こんなにもひねこびれたものにしている原因を、はっきり知らなければならないと思います。「個的なもの」に、偏執する人々の心理の原因の一つは、つまり過去十何年もの戦時中、あまり無視され、蹂躙されつくした自分というものを、今こそ擁護し、自分の生きている価値を主張し
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