でした。自主なる人民としてのブルジョアジーを、王と貴族と僧侶の支配にたいして、主張したのでしたが、この日本のブルジョアジーの特質は、はじめから、革命力を失った階級としてあらわれ、したがって彼らの力で、憲法だって民主憲法はつくれなかったし、民法にしろ、民主的な民法はこしらえられませんでした。
今日、日本の民主化をいうとき、私たちは、はっきりブルジョア民主主義の完成にたいして実力をもっていない日本のブルジョアジーの歴史性を理解し、日本の社会の半封建性を打破して近代民主主義を確立するものは、ブルジョアジーそのものの半封建性に革命をもたらしうるだけの実力をもつ勤労階級である、という現実を知らなければならないわけです。日本や中国の民主主義の過程が、新民主主義といわれるのは、この特徴的な社会の歴史的性格によると思います。
したがって、文学がブルジョア民主主義の段階において要求する自我の確立や個性の自主の課題も、基本的には、日本のおくれているこの民主主義の特殊性と一致して理解されないと、とんだまちがいに陥ると思います。インテリゲンツィアをこめる全人民の民主的社会生活への進出が実現しなければ、今日
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