が、「わが胸の底のここには」は、いわば鋳ものの裏の方からそのへこみばかりを辿って人間性のもり上りを見てゆこうとしているような作品に思えます。その作品の第一回の三分の一ぐらいは、いかにもこの作者らしいメロディーでその文章は身をよじり、魂の声を訴えようとヴァイオリンの絃のごとき音を立てている。その部分では高見順はまるで縷々《るる》として耳をつらぬき、心をつらぬかずんば、というような密度のきつい表現をしている。それはいくつもの響の調和された、幅のある音でなくただ一本のヴァイオリンの絃が綿々として身をよじっているんです。そういうふうな身のよじりで、自分の四十歳までの生活は幼年時代の汚辱の中につながっているというように、非常に悲傷めいた表現が強く書かれている。
 ところがこの作品は第二回目になると、まるで子供時代の昔語りになってゆきました。書かれるモティーヴが強烈でなくなって、楽な昔語りになってしまった。第一回目の冒頭にメロディアスな技術で奏ではじめた、わが汚辱をえぐりあばくという文学の身がまえがくずれてしまっています。そうして、第三回目には、第一回目冒頭でかなでられたメロディーが作者の心に甦っ
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