てきた。そして自分の書く態度について反省をしている。つまり四十歳の人間が老いるということは何だ。何事であろう。自分はもう生きる力をどこかへなくしてしまったのだろうか。もう一度生きるためにもこれを書かなければならない、と書いた第一回のこころもちが第三回目になって思い出されたわけです。
 芸術的老衰ということが、書けないということでなく、あまりにすらすら書けるということにも老衰があるということを、この作者は第三回にいっている。そして、自分がすらすら調子よく書きはじめているということ、これはなんだろうか、と反省をしている。第一回で、羞恥ということはわれとわが身を摘発することだ、と書きはじめている。その「ぱッと顔の赤らむ直截な感情である」羞恥とはなんであろうか、ということをこの作者は生々しい感情から扱いえなくて中村光夫さんはこういうふうに論じている、誰それは、というふうに、と羞恥論をやっています。羞恥という言葉は、この作品のなかにどっさり出るけれども、作品の現実の中ではじつはけっして敏感に生きていません。たとえば第二回のところではこの感情を中心的に扱っていて、一中に入ろうとした時、自分が私生子
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