的な清らかさ、などを豊島さんのシンボリズムではたして表現しきれるものでしょうか。
それから最後に、今日一種の魅力になっている傾向に、懐疑的な、自分にたいするサディスティックな自虐的な追求をとおして、人間性の再確認と正義の建設への意企を表現しようとする試みがされています。そういうグループの作家の語彙《ごい》には非常に「苦悩」とか「汚辱」とかいう言葉が多くつかわれます。その代表的なのが、高見順の「わが胸の底のここには」という『新潮』に連載されている作品です。文学好きというような人には、そうとう読まれていると思う。
この「わが胸の底のここには」という題は、藤村の「我が胸の底のここには言い難き秘事住めり」という文句で始まっている詩からとられた題だそうです。この小説はまだ四回しか出ていない。どういうふうになって行くのか今からはわからないけれども、幼年時代のことから書きはじめられて作者の社会的な成長を書こうとしているものです。だいたい、人間の生きかたというものを表から明るくばかり見てゆくものがリアリスティックな文学ではありません。群像の浮彫に、深い明暗があるとおり、立体的に把えられるべきものだ
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