れながら働いてゆくものだと思います。つまり日本の大多数の人がどのように具体的に自分たちの民主的な毎日を確保してゆくために努力するかということときっちり結びついています。
こう見てくると実に面白いことがあります。それはもう前年度の文学現象の検討の中に、自ら現代文学の重要な発展の可能性が示されているということです。前年度の回顧の中の第一の分類に属する丹羽文雄氏が「私は小説家である」といういせい[#「いせい」に傍点]のいい論文で、社会小説を主張して私小説から脱却しようとする今日の潮流に合していますが、一社会人として社会の進歩の歴史に対して責任を負わない客観主義に立つ社会小説というものは、人間一人一人の自覚と自主が確立される社会を建設してゆこうとする民主的な方向と一致しないものであることは、明らかに理解されます。作者の社会人としての感覚、歴史に対する積極的な参与を自覚しない客観主義は、いわば十九世紀の自然主義のぬりかえにすぎず、社会を客観的に見てあらゆる社会階層の現実とその発展を描破しようとする民主主義文学でないことは明瞭です。
石川達三、林房雄氏その他の戦争協力者が民主化の低迷に乗じての
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