こうありたいと思い、こうあるべきだと確信して致したことは殆ど十中の八九まで、事実において「そうではなく」なる。さながら見えざる律のように的確に、反対の現象となるのである。
このごろ私は、先《せん》よりはずうっと現象その物をじっと見守って行くような傾向にいる。自分の持って生れた気質と、周囲の雑多な無数な箇性との折衝をも考えてみる。しかし、ガルスオーシーの小説の主人公のように“Curious thing――life! Curious world! Curious forces in it――making one do the opposite of what one wished!”と云って、差し上る月光の柔かい夜気のうちに溜息を吐くだけではすまされない。結局人間一人の力は、その不可見な力に及ぶものではない。人間にはあまり多過ぎる。人間にはあまり高すぎる、「私共はつまり出来るだけ親切になり扶《たす》け合い、多くを予期しないと共にあまり多くのことをも考えずにやって行くのだ。thats' all!」そうだろうか、ほんとにそれが thats' all なのだろうか。
近頃の私の経験は、自分が「
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