芸といえば、素朴な印象にこだわるようであるけれども、「群盗」の初日に滝沢氏の演じられた弟の独白の場面で、舞台の一隅に置かれた枝蝋燭立てから一本の燃えているローソクが舞台の上に落ちました。そこは貴族の室内である。弟は陰険奸悪な陰謀者である。彼は一人で室内を行きつ戻りつしながら、古典劇らしく自身の悪計を独白しているのですが、例の舞台の上に落っこって目の前で燃えているローソクには全く目もくれない。その前まで行って足でさわりそうになって、しかもそのローソクを拾おうとしない。観客の目は自然燃えているローソクにとらわれ、どうなることだろうという心配がある。これは素人の見方かもしれないが、もし、滝沢氏が弟の性格を十分人間的につかまえていて、舞台に芸術として生きたリアリティを感じて動いているのであったならばおそらく科白《せりふ》の間にあの人物らしい身のこなしで燃えるローソクを拾い上げ、それを消し、科白の間、身ぶりの間にもとの枝蝋燭立てへ戻し得たのではなかったろうか。ローソクは幕になる迄舞台の上で燃えっぱなしでした。初日でゆとりがなかったといえばそれまででしょうが、私は一人の見物として観ていて、新協
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