出さずにはいられなかったほど、律動的なものであった。
 高音が急速な優しみのある旋律で旋行して行くにつれて、全く、八度の重々しい低音の、男性的な協和音程が息もつかせず強調して行く。そして、やがてd'[#「d'」は横組み]の夢幻的な顫動《せんどう》のうちに落着く、あの響を想起したとき、私は命の、あまりの麗《うる》わしさに心を撃たれた。
 淡い秋霧に包まれた桐や棕櫚《しゅろ》が、閉めた窓々を透して流れ出る灯に、柔かな輪郭《りんかく》を浮かせている静かな、ぬれた病院の中庭を眺めながら、自分は魂のささやかな共鳴りを感じた。大変歌いたい心持になったけれども、適当な歌詞も声も持たない自分は、ただ心のうちで「限りなく麗わしきいのちよ!」と讃えることほか知らなかった。
 腰髄刺穿によって期せられていた、僥倖《ぎょうこう》の百万分の一ほどの微かな望みも絶えて、十九日の夜半から二十日の黎明にかけて、脈搏はグングンと増加して、六時頃熱は七度八分なのに対して、脈は百二十という差を現わした。
 そして、最後の徴《しるし》である喘鳴《ぜんめい》が起り始めたのである。始め私はただ痰《たん》が喉にからまっているのだとほか思わなかったから――私は喘鳴が起ればもう最後だということなどはちっとも知らなかった――しきりに、「早くとっておやりなさい、おやりなさい」と母や看護婦にせっついた。
 皆黙ってその通りにする。
 自分でも手伝ってあげたかったけれども、若し突附きでもすると大変だと思って控えているところへ、注射器をもって入って来た医者の方を眺めた母の顔を見たとき、あの急に衰えたような、痛手に堪えかねた負傷者のような表情を見たとき、自分はグラグラとした。
「アアもう駄目だ」
 手と足が一どきに氷のように冷たくなってしまったけれども、心だけは一層大きな眼を見開いた。
 いくら、取ってやろうとしても、もう絶望だということを知らなかった自分が、いつものように単純な調子で、
「おかあさま、早くとってやるといいわ、苦しそうよ」と云ったことは、母にとってどんなに苦痛だったかということも考えられた。
 泣くどころではない。
 殆ど憤怒に似た表情を浮べたたくさんの顔は、一生の記憶に遺したいため、できるだけ多く、よく彼の「生きている顔」を見ようとする真剣さに、つかみかかりそうな緊張をもって彼を見据えている。
 自分ではまるで
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