うしても心は眩《くら》まない。
 外からの刺戟が雑多になればなるほど、自分の心を統治して行く何物かの力は確実になって、苦しさに堪えないほど、いろいろなものはその真実のままはっきりと自分の心に写って来る。かなり恐れている自分自らの死に対しても、このときの私は平常の十分の一ほどの恐怖も、いくじなさも持たなかった。
 一日一日と一つ本を読むごとに、人の話を聞く毎にだんだん自分の心にはっきりとした輝きを持って来る、生の尊さのため真の善のため、人間らしい人間になろうため、朝から夜まで命がけの努力をして行きながらでも、若しか急に明日死ななければならないことになったら、自分は死ななければならない。自分が或る場合、他の人々の上にも肯定しなければならない、死ならば、自分の上にも肯定しなければならない。近頃或る立派な美術家が、自分の死までの経過を観察しながら絶命されたことを聞いたときの感歎が心に再生して来るのを感じた。忘却も憎むことはできない。
 心は非常な痛み、苦しみをもって重く深く沈湎《ちんめん》して行く。けれどもそれは、目のとどくかぎりの奥まで澄み透っているらしい心持がする。
 そして明かに力の感じとなって、死のうとする者、死なれようとする者に対しての愛情が湧然《ゆうぜん》と胸に充ち渡るのを感じたとき、自分は死の肯定によって一層強められた生の光栄のために、魂が燃え上るのを感じた。

        四

 十六、十七の両日の間に、すべての状態は漸次《ぜんじ》死に近づいて来たらしい。
 熱の下降と脈搏の著しい増加を来して、十七日の夕刻には発病後始めて、百の脈搏と七度七分の温度とが記入された。そして、すべての精神作用は、全く休止してしまったのである。彼の骨だらけな手を撫でながら、ポロポロ涙をこぼしている母の悲痛な顔を見、涙を拭き拭き気をとりなおそうとするらしく頭を振る父の「いい顔」を見ると、私はほんとうに何とも云われない心持がした。
 親達の生きている間は、死ねないと思わずにはいられなかった。
 もうかなりの年になっている両親にとって、十五年の間限りない心遣いと、限りない望をかけて育てて来た息子を今失うことは、全くどのくらいの打撃であろう。泣き伏している母も、「大きな男だがなあ」と歎息する父をも、そおっと自分の胸に抱き擁《かか》えて、泣きたいだけ泣かせてあげながら、自分も眠くなるほど
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