であった。彼は自分の購買力をはっきり弁《わきま》えていたから、却って他人のところでこそ所謂世界的な名品を見たがった。そして、彼は、そのようにして見せて貰う逸品を自分のものひとの物という区別ぬきにして、心から愛し認め得る生れつきの朗らかさを持っていたのである。
 けれども、その朗らかさには一面執念づよい愛好家の神経質が附随していた。彼は、自分の鑑識でよいと認め得ないものに対しては納得の行く迄帽子をとらない頑固さを持っていた。彼はN会社の事務室ででも、電車の中ででも、頭についた陶器のことは忘れなかった。絶えず心でその色や形を反芻した。そして或る期間経つと、何かのはずみで忽然彼自身の信念がその作品に対して明確に形造られるのであった。
 彼は、時々恐ろしく凹凸な市街の道路で揺り上げ揺り下げられながら、衣嚢から先刻の備忘録をとり出した。そして、スケッチのマジョリカを見なおし、彼の謂う捏《こ》ねかたを始めた。
 みや子は、黒絹の襟巻にくるまり、黙って暫く良人の手元を見ていたが軈《やが》て、
「あなた」
と呼びかけた。日下部は手帳に眼をとめたまま答えた。
「うむ?」
「高畠さんのところで沼津の地所を
前へ 次へ
全34ページ中20ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング