屋を出た。彼女は、本当か嘘か判らず而も話そのものは同情を牽かずにいないと云う話は好まなかった。
 三日四日経つうちに彼は家の中だけ歩くようになった。
 従って千代を見る機会も増した。
 彼は風呂場などに行ったかえり、よく妻と顔を見合わせては、むずかしい顔をして頭をふるようになった。
 それに対して、さほ子は瞹昧極る微笑を洩した。
 彼は、湯殿の鏡の前で、彼が後に来たのも知らず真心こめて化粧をなおしている千代を見出した。彼は困って咳払いした。千代は鏡の中でぱっと眼を移し、重って写っている彼の顔に向って華やかに微笑みかけそして、ゆっくりどきながら云った。
「まあ、御免遊ばせ」
 そしてすっと開きから出て行った。
 又、彼女は、食事の前後以外には、どんなに食事部屋でがたがた物を動す音がしても、決して自分の部屋から出ないと云う主義を持っていた。
 彼女の部屋の硝子から、此方に著たきりの派手な羽織のこんもりと小高い背を見せたまま別の世界の住人のように無交渉に納っている。
 千代が、さしずをされずに拵えるものは、何でもない、彼女自身の大好物な味噌おじや丈だとわかったとき、さほ子は、良人の寝台の上に
前へ 次へ
全22ページ中16ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング