の中にありながら、過去において、婦人の文化水準が総体的に男にくらべてどうしても低かったというのは何故だろう? 婦人の一生にとって最も密接な影響をもっている家族制度に集中的にあらわれている日本の封建制が、全面的に婦人の発展をはばんでいる。一応婦人の自由が認められ、また女性尊重の風のある文学や科学、政治、経済という真面目な仕事に婦人の進出がまれであったことこそ資本主義の社会での文化の本質的な特徴なのだ。
人道主義的な動機から、キリスト教的な表現として、エレン・ケイがそれを主張して以来、わたしたちは母性の尊重とか、人間としての男女平等とかいう文句を毎日耳にしている。然し、世界の資本主義の社会は、果して現実に母性を尊重し男女平等の待遇をしているだろうか?
実例を、日本にとって見よう。
日本には、百五十三万四千三百十四名(一九三〇年六月、社会局)の婦人労働者があり、その六割六分までが工場労働者だ。資本主義社会の生産は、こうして夥しいプロレタリア婦人の労力によって運転されているのだが、資本家の利を守るために行われる産業合理化によって労働時間は九時間以上十一時間、十三時間(!)という驚くべき苛
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