もう何回か作品を発表していた人もあったし、もっとひどいのは既に過去数年間、文筆家として生活して来たような人も加えてあった。だが、問題は、そこにはない。新顔として紹介された婦人作家たちの中に、ハッキリ、プロレタリア文学を把握しようとしているらしい感想を書いていたのは二三人しかなかったこと、及、その十人ばかりの婦人作家たちは、みんな小中流以上の家庭の人で、文化学院などを出た人が相当あったことだ。
世界の経済恐慌によって、どこでも階級闘争は進展し、資本主義とその文化のもがきは、其等の新進婦人作家たちの短い抽象的な文章の中にさえ反映している。それでも商業ジャーナリズムは、遠かれ近かれ、自身の属す社会圏から婦人作家を見つけ出そうと焦っている。
紡績工場に働いている若い婦人労働者の中に、若しかしたら、面白いプロレタリア詩をつくる婦人はいないだろうか、とは考慮されていない。そこまで大衆の中に沈まないでも、例えば『ナップ』その他にこの頃一田アキという名で望みのある詩を書く婦人が現れている。しかしそういう新しい婦人詩人のところまでは新進を求める手をのばさない。
それにしても同じ資本主義社会の文化
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