王と貴族と僧侶だった。貴族は武力を統帥し、僧侶は貴族階級のイデオローグとして最高の文化活動を担任していた。だからラテン語で書かれたその頃の文学は、どんな馬子によっても書かれなかった。ただ僧侶のものだった。当時は文盲の王があり貴族があった。
 日本の現在までの婦人作家が、どういう階級から出て来ているかということを考えても、事実は一目瞭然だ。
 日本の既成の婦人作家はプロレタリア作家といわれている人々をこめて、没落した小市民層かそれより以上の経済的基礎をもった層から出ている。
 世界のプロレタリア解放運動は、その文化戦線をもふくめて、最近益々積極的ではあるが、残念ながら資本主義社会で大衆の文化教育機関とジャーナリズムとをプロレタリアの手の下におくところまでは行っていない。
 それは、この間うちつづけて読売新聞紙に載っていた「処女航路を行く女流作家」という紹介を見てもわかる。
「処女航路を行く女流作家」というのはよんで字の通り商業的なジャーナリズムが自身の立場から新進の婦人作家を並べて、短い自己紹介の文章と写真とを一覧に供したものだ。十人ばかりの婦人作家の名があった。中には、女人芸術その他に
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