うところにある。
云いかえると、A子ならA子という一人の女が、忘られない程強烈な印象をうけた事件、見聞、経験なりを、一旦ひろい社会機構の内へつきはなし、抑々《そもそも》そのような事件の発生した客観的な事情、そこに動いている各人物の心理動機などを解剖し、綜合して見直し、第三者にのみこめるように再びくみたてる力の不足が、困難の原因なのだ。
これまで日本文学における和歌と小説と、どっちの領域に多くの婦人作家が活動していたか、それを比較するとその相異がわかる。
和歌の小さい形式、一首の和歌の中に社会の一小情景を再現するか、さもなければ、主観的な感慨を再現し得る伝統的形式は、社会現象を引くるめて大きく構成的に散文として把握し得ない婦人にでも、適当な芸術形式として利用されて来た。
ちょっと歌もよむという小中流の婦人は多い。短いものなら小説も書くという婦人は尠い。――
イギリス、フランスは早くから婦人作家の出た国だ。イギリスは冬の長い陰気な室内生活により一般に読書好きなのと、キリスト教的な婦人の啓蒙教育のおかげで、小説の世界で中流的だが、古典でジョージ・エリオットにしろ、ジェーン・オーステ
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