ったり、女学校へ馬車で通わしたり、親たちはドシドシ娘を仕込んだ。親の目的は世界の俗っぽい親の目的どおり到って現実的だった。出来るだけ金持の男へ、出来るだけ権勢ある貴族へ好い条件で娘を嫁にやれるように、という範囲でなら、何も特色の一つだ。哲学ずきさえも、もし美しく化粧することを忘れない程度ならサロンの風変りな花形として黙認した。つまり、あらゆる婦人のための学問教養が「客間用」として授けられた訳なのだ。これは、プーシュキンの初期の作品にもよく描かれている。
 ところが、皮肉なことに、貴族やブルジョアに生れた娘の知識と欲望はいつも親どもの希望するような方向にだけひろがるときまらない。親が黙許した限度に止っているとは限らない。若さは時代の空気に敏感で、素質のいい、若い少数のインテリゲンツィア婦人たちは、強烈に先ず家庭内の封建性と衝突し、引いて貴族やブルジョア社会の破廉恥、搾取、無目的な浪費生活をきびしく批判するようになった。
 家長専制の当時のロシアの上流中流社会で、娘が親を矯正することは不可能だった。
 ソーニア・コ※[#濁点付き片仮名「ワ」、1−7−82]レフスカヤのように、勇敢なインテリ
前へ 次へ
全39ページ中21ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング