のを読ませ、どんな講話をきかせているだろうか?
商業ジャーナリズムの一隅、工場御用雑誌営業者が歴と存在して、『白百合』『処女』などという印刷物を出し、婦人労働者の奴隷的地位の太鼓もちをやっている。有給生理休暇なんぞのないのは分りきっている。――
だって、それはひどい工場労働婦人のことで、われわれのことではないと云う人があったら、その人を百貨店へ案内しよう。
朝から夜まで立ちづめで、「すみません、ありがとうございます。お待ち遠さま」と労働している婦人たちは、どうか。
ああいう仕事が屈辱的でないか? 体にいいか? そして、訊こう、どういう階級の婦人たちがああして働いているか、と。
資本主義の経済はゆきづまって、これまで中流家庭の若い婦人が働く必要に迫られはじめたのは一九一九年ごろからのことである。これらの若い女性は、女学校を出ている人が少くない。婦人の女学校から専門学校出の最多数が銀行、会社などに使われているのだ。
作家の菊池寛は、今日女で男なみに給料のとれるのは女給だけだ、と云った。そして、見識あるらしく、今の女は、専門技術家としてどんな技術ももっていないと云っている。しかし
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