これは「今の女」のつみだろうか。日本の教育は男児と女児とを、小学校のころから区別している。女は家庭で良人の補佐ができればよいという明治時代の女子教育は進歩していないのだ。
 資本主義の国として、しかもつよく封建性ののこっている日本文化は、支配者自身でさえ今では不便がるほど基礎的な男女教育にまで差別を設けている。女学校は綱領として経済的寄生者である良妻をつくることを目標としている。生産単位として男と同じ熟練技術者をつくろうとは決してしない。
 あらゆる分野で、男より低廉な賃銀で過労し、母性の重荷を負った不熟練技術者としての婦人を準備しつつある。その社会的な弱点を改正しようとしないで、女は、女は、と女のおくれをせめつけるのは甚しい矛盾だ。なぜなら、「女は」と女をいやしめる人々はきっとその一面に「女のくせに」という言葉をもっているのだ。そして、女性が自分たちの力で自分たちの境遇を打ちやぶってゆこうとするのを「女のくせに」なまいきな、可愛くないこととして圧えつける。資本主義社会における婦人のこういう一般の事情の中で、文化の最高点である芸術運動に、婦人が少数しか参加し得ないのは自明だ。日本で、婦
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