民が物の道理をはっきり知って、搾取に反抗するのを嫌った。帝政ロシア時代の小学校教育がどんなひどいものであったかは、チェホフが手紙の中で屡々熱情的に抗議しているのを見てもわかる。
帝政時代、料理女の子供たち、貧乏な百姓、工場の平労働者の子供は、男女とも中学へ入ることさえ許されなかった。ロシアの支配者は人民に学問や現実的な知識を授ける代りに、高い税で政府がしこたま儲けつづけた火酒と、封建的な絶対服従にあきらめる思いを祈祷の文句で、人民の精神に植えつける僧侶とをあてがった。
女と男との地位は、ひどく男尊女卑だった。人民――労働者農民は、気の向いた時に彼等を擲りつけることの出来る主人をもっていた。主人の樺の枝の鞭の前には平伏しなければならない小作人でも、自分の小屋では主人だった。
彼が擲りつけても誰からも苦情の出ない者を公然ともっていた。それは女房だ。子供らだった。
ロシアの古い民謡の中に、若い娘の婚礼の唄がいくつもある。陽気なのは一つもない。哀しそうに
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私が嫁に行くと云って
何のよろこぶことがあろう!
自由な楽しい私の若い日は終るのに!
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実際、娘たちは編下げの髪を編みながら涙をこぼしてそういう唄をうたった。父親同士が勝手に結納として家畜だの道具だのをやりとりしてしまえば、当の娘は否も応もない。まだ見たこともない男の妻となり、その一家に新しく加った一人の無償労働者として耕地を這ずりまわらなければならなかった。
「十月」はロシアのあらゆる場所でいためつけられていた勤労婦人を実質的に解放した。労働者農民・働く全人民の解放のためのたたかいを支持し、その困難な建設時代を貫いて男と等しく生産にたずさわり、男と等しく戦線に立ち、ソヴェトの勤労婦人は解放された女の真価というものを、自分とひと[#「ひと」に傍点]とに向って確めた。
ソヴェト権力とともに、文化の光はシベリアの奥へまで射しはじめた。一つの村に赤旗が翻ると、もうそこには、村のクラブと文盲撲滅の学校が出来た。そこで機械がまわり、男女の労働者が働いている工場なら生産管理の工場委員会が男女労働者とその指導者によって組織されると同時に、文化部の活動がはじまった。
「十月」以後、ソヴェト同盟では勤労大衆がみんな自分の年齢を忘れた。年を忘れて、社会主義社会の建設に熱中しはじめた。
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