かと思うと「支那人の心情は根本的に獣である。これをよく知っているのはロシア人たちである。かつてハルビンが帝政華かなりし頃はロシア人は支那人を鞭で打ってキタイスカヤ街のような通りはこの野蛮人を通らせなかった」(!)
奉天にパチパチの起ったことについて日本帝国主義に内在する経済的・政治的理由も眼中に入れていない。彼は無智な軍用ペンをふるって、ブルジョア異国趣味から狂気的民族主義へ飛躍しているのだ。
この実例だけでも、ブルジョア文学の領域内で、異国趣味を基礎とする国際主義は民族主義の泥沼にはまってついにファッショ化するものだということが十分明瞭に示されている。
資本主義のイデオロギーはそれが必然の過程として植民地搾取を包含する帝国主義イデオロギーである限り、本質的に「インターナショナル」は理解し得ないものなのだ。
三
ところで、ではプロレタリア文学は国際的展望において民族性の問題をどう取扱っているだろう?
決して、それをブルジョア文学におけるように最後の決定的なものとしては認めない。階級的インターナショナルの闘争を強固にし、その連帯的活動を活々させ、より効果
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