的に行うための、具体的情勢の個別的条件としてだけ、民族性は問題となって来る。
どんな場合でも中国は中国、日本は日本ではない。中国はこうで、日本はこうで、それぞれの特殊性は、互に国際的階級闘争の全場面に対してどういう役割を持つものか。そういう観点からとりあげられて来るのだ。
だから、各国の階級闘争が国際的連帯を緊密にするにつれて、文化活動の国際性もこの頃ますます拡大されて来た。
文学活動上の種々の問題、例えば創作の唯物弁証法的方法という問題にしろ、プロレタリア文学の大衆化の問題にしろ、日本の「ナップ」が提起しているばかりではない。アメリカでも、ドイツでもソヴェト同盟でもプロレタリア文化・文学活動に従うものの間に国際的な共通な問題となっている。
こういう問題が起るごとに、民主主義作家や反動作家は口を揃えて悪口をいって来た。日本のプロレタリア作家のざまを見ろ。ハリコフ会議が決定したとさえいえば、それに追従して農民文学の問題をとりあげる。ソヴェト同盟やドイツで創作の唯物弁証法的方法といえば、又それに太鼓をたたく。定見のないオッチョコチョイ奴、と。
然し、この悪口は彼らの、非プロレタリ
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