ものか」と痛感する佐々木をこめて一群の日本人が集まって個人的な問題を中心として議論したり、居住の地域を問題にしたり、宿主とケンカしたり、引っ越したり、一人の仲間が引っ越すとその仲間が遠い郊外の引越先まで行って見て、古い党員の下宿主からリンゴを貰って皮ごとカジって「何て同志的な雰囲気だ!」と感じたり――
 もちろん、そればかりが書かれてはいない。第二回世界ピオニェール大会のことも、ドイツの選挙のことも書かれているのだ。が、革命力の高揚しているドイツの情勢はその情勢だけ切りはなして説明的に描かれ、日本人群の日常生活の描写のうちへ滲透し、盛込まれ、不分離な力としては書かれていない。
 読んだあとの印象では、従ってドイツ・プロレタリアート・農民の巨大な燃える攻勢というものは消える。かえって、かたまり、うるさいほどに互の日常生活に口を入れあって、忙しい人間同志なら二の次、三の次になる問題を論議している一団の日本人の理屈っぽくて非現実的な生活だけが浮びあがるのだ。
 作者は、「その観点や構成は全部唯物弁証法的に意図した」と前書でいっている。
 決して、どうでもいいと書かれた作品ではない。そうとすれ
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