支出し、ブローホフ村の医者を七日に一遍ずつまねくこと。
一、保母二人。候補者、後家マルーシャ、青年共産主義同盟員ニーナ。
一、各集団農場員は、托児所へよこす子供持ちと否とにかかわらず、最小限枕一箇、敷布一枚を、托児所のために持ちよること。
一、托児所へ子供をあずける集団農場員は、出来るだけその子供がこれまで使用していたもの、例えば揺籠、箱、寝台などをつけてよこすこと。
一、組織された集団農場托児所の経営は、集団農場衛生委員会が経済的責任を負う。
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パチ、パチ、パチ。
――採決する。――以上の条件で托児所設立に賛成なもの、手をあげてくれ!
ピムキンが、自身手を高くあげながら、くるりと振りかえって立ち上り、聴衆の方を見た。みんないやな気がした。――が、何心なく手をあげていたアグーシャは、急にまごついた顔して、わきに腰かけてる亭主を肱でつついた。
――採決だと――
――……
――どうして手あげね。
――……
グレゴリーは頑固に黙りこんで伏目になり、腕組した片手で髯をひっぱっている。アグーシャが、途方にくれた顔でひとり手をあげている間に、再びイグナートのしわがれた声が響いた。
――以上の件で托児所設立に反対なもの手をあげ!
腕組したまんまだ、グレゴリーは。
――では、絶対多数で、托児所の問題は可決された。これもボルシェビキ的テンポでやっつけべ。
――イグナート・イグナートウィッチ! 枕や敷布、どこさ持ってくかね? 真直ぐブガーノフの小舎さか?
――いや、衛生委員の室さ一応あつめるべ。
街燈のない村道にぞろぞろ人通りがはじまった。亭主のわきについて、足早に小舎へ帰って来るとアグーシャは、頭にかぶってた毛糸肩掛けをときながら、
――見っともねえ!
いつにない荒っぽい口調でいった。
――お前だって、集団農場さ加ってる身でねえか! なして、手あげなかったよう。
グレゴリーは、靴ぬいで、足をまいてる麻布の工合をなおしながら答えた。
――何の必要がある? 俺に、ペーチャは十三だ。
――そんだこといったら、イグナート・イグナートウィッチはまるっこのはあ、ひとりもんだ。……俺らとこだって……ちっこい者が出来ねえもんでもなかっぺ。――
――面白くもねえ! 牛だせ。馬だせ。鋤だせ。あげくの果あ、――枕だせ。――どこに「俺のもん」があるよ! 「主人《ハジャイン》」の持ちものあどこにあるよ!
――大きい声すんな……その代り、俺ら、働くにゃひとの道具つかってるでねえか――あげな大きいトラクターお前に買えるかよ。フフフフフ。
――おしゃべり! ぷう! ソヴェト権力じゃ女が男と同等だそうだから、手前《てめえ》は手前ですきな、代議員にでもなりくされ! 掟と亭主は女をしばらねえんだ。
アグーシャは、大きな眼でジッと暗い窓の方を眺め、片手で頬っぺたを押さえて坐っていたが、やがて悲しそうにいった。
――おら、お前が、とくがねえ、とくがねえってのがわかんねえよ。去年、おらが心臓でぶっ倒れたとき、医者にかけてくれたなあ誰かよ。お前じゃねえわ。集団農場だ。ブリーシャのとこだってもよ。十五のグリーシャ、年がら年じゅうブガーノフの耕地さぼいこくられて、聖母さまのお水のんで命つないでた。それが集団農場で、今二人で六十ルーブリあとってるべよ。
グレゴリーは、いきなりグイと濃い髯の生えた顎をもちあげそこにのってた皿がおどったほどひどい力でテーブルを打った。
――だ・ま・れ! わかったか? 一言も、つべこべいうな、許さねえ。わかったか。
そとは星夜で、白樺や菩提樹の梢が、優しい春の若葉を夜気のなかに匂わしている。ペーチャは二三人の未組織の子供とニキータとで、村ソヴェトの横のベンチにかけていた。
――じゃ、間違えるな。あさっての三時から、ブガーノフの小舎へ集まるんだ。そして、みんなで塗るんだ。
――な、な、そのペンキってどんなもんさ。
――見たど、俺ら! 糊さ。
――どげえな色してる!
――はあ、とても真赤だど。
――ニキータ! ニキータ! 托児所真赤にすんか?
――え? 赤じゃね、白だ。……さあ、もう帰った! 帰った!
ペーチャがしんがりで歩いていたら、一旦建物へ戻って行ったニキータが後から追いついた。そして、低い声で、
――お前《めえ》、見たか?
といった。
――何を……
――お前の親父、決議ん時手をあげなかったぞ。
――……アグーシャもか?
ペーチャは、親父の後妻をいつも名だけで呼んだ。
――アグーシャはあげた。
ニキータは、ウーンと胸をのばしてかぶっている小さい縁無し帽を手で額の後へずらかし、大きい息して、匂いの濃く柔かい夜気を吸いこんだ。
――親父、集団農場出る気かもしんね。
しばらく歩いて、ペーチャがおもおもしくいった。
――ふーん。そんなこといったか?
――俺にゃ、何にもいわね。そう口きかねんだ。
――アグーシャ、どうする、そうなったら――第一、ペーチャお前どうする?
ペーチャは、だまって春の夜道んなかを真直ぐに細い少年の体つきで歩いて行った。
五
托児所にするブガーノフの小舎の羽目を二度目に塗りに行ったら、弱虫のリョーリャが、
――俺、やんだ! もう塗らね。
鉢のひらいた頭をふった。
――あしてよう?
――ルバーシカよごしたって、お母がしばくから、俺やんだ。
ペーチャが、
――だら、ルバーシカ脱げ!
と先頭にたって、ぐるぐる自分の背中から海老茶色のルバーシカをむいた。順ぐり、リョーリャもとうとうぬいで塗った。
ペンキ塗りは明日ですむ。ペーチャにはまだ仕事がある。子供の組をわけて、※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66、262−19]や馬やひまわりや猫や、そういう絵を、十九枚書かなくちゃならない。托児所にそういう絵がいるんだ。
ペーチャは脱いだルバーシカを腕へかけたまんま近路して、裏の柵から台所口を入っていった。
はじめ、泥棒が入ったのかと思った。テーブルの下のところに、何か白い引裂いた布が散らばって、隅の大箱のふたはあけっぱなしだ。それからも布が引きずり出してある。
ソロソロ近よったら、箱のかげの薄暗いところから、
――誰だ?
それはアグーシャの声だが、まるで気がぬけて、乾きあがっている。
――どうした!
アグーシャは、箱のかげから膝でずり出て来た。彼女は、床へ坐ったまんま溜息をついて、
――父ちゃんいねえか?
ときいた。それから、また溜息をついて、涙をこぼしはじめた。ペーチャはアグーシャのわきへ膝をついた。
――どうしたってことよ! あ? 父ちゃんか、親父がやったんか?
――殺されはぐった。
アグーシャは、手の甲で涙を拭いて、唇にはりついてる髪の毛をかきのけた。だが、いくら拭いても、涙はアグーシャの頬っぺたを流れる。
アグーシャは永い間ぼんやり床にへたっていてから、そろそろ手を動かして、散らばってる布をあつめはじめた。
――何して、あげ怒るか俺にゃわかんねえ。俺托児所さ枕と敷布とつかい手ねえお前のちっちゃかったときの籠もってこうとしただけでねえか。
アグーシャのあごのところに紫色のあざができている。ペーチャは、苦々しげに、
――親父あ、決議んとき手あげなかったちゅうこった。
といった。
――なあペーチャ、お前ピオニェールだ。正直、俺さいってくれな。
しばらくしてアグーシャが、持ち前のしずかな思いこんだ調子でいった。
――俺間違ってるだべえか。俺にゃどうしてもソヴェト権力のええとこさ見える。だまされていたとは思えねえ。
ペーチャは我知らずアグーシャの腕をとって、やさしく、
――立ちな。アグーシャ。
と励ました。
――お前の方が本当だよ。親父は年とって、新しい社会が、俺らんところで出来てくのが、わかんねんだ。
無教育なアグーシャをペーチャは親父よりずっと親しく感じた。このごろ、親父はアグーシャとよくひどい喧嘩をやる。それもいつだって、ペーチャはいないときやるんだ。
――こねだ、小遣かせぎに荷馬車借り出してひいたら、事務所さ三割とられたって大ぼやきした、あんときもお前なぐったか?
ゆでた馬鈴薯をもって来てテーブルで食いながらペーチャがきいた。
――ああ。だけんど、あのときゃたんだ三つですんだ。
グレゴリーが帰って来た時、ペーチャはペチカの下へついている床几で、毛布にくるまって眠っていた。
――眠ったふりしていた。
大体托児所には人気があった。
――どげえなもんが出来あがるっぺ……イワノヴォ・ヴォズネセンスクには風呂場までついて、栓ねじると湯の出る托児所があるそうだで。
――南京虫にくわれねえだけでもハアちっこい者にゃ楽だよ。
後家マルーシャは、笑いながらある日アグーシャにいった。
――アグーシャ、ききな! 昨日ピムキンの気違い、とてもいい羽根枕、托児所のためにって持って来たぞ。――どっからかっぱらって来たんか……見てな、きっと今にピムキンがあの枕かえせって来べえから……。
耕地では、見渡す数露里の広さにあおあおと麦が伸びて、初夏の風がそこへ吹くとあたまを揃えまぶしく波うった。
トラクターで耕され、播種機でまかれた麦の濃い育ち工合は馬鋤と手蒔でやった耕地と、一目で違いがわかる。
村はずれの川へビリンスキーの者が水浴びに行く。土手のむこう側が原で、雑草まじりに薄紫の野菊や狐の尻尾が穂を出している。その先にガラスキー村の耕地がある。裸の胸を平手でたたきながら、ニキータは土手からその耕地を眺め、
――荒地とどこが違うべ……
といった。
――そうかよ。ガラスキーの奴ら、去年もスターリンの演説とっこにとって集団農場にしなかったが、……何目算して頑ばってるんだべ……
――この秋も見ろ、また麦買付にごてくさるから。小汚ねえ買占人の味が奴ら忘られねんだ。
ガラスキー村に一つ小さい煉瓦工場がある。五ヵ年計画でソヴェトの煉瓦需要はえらい勢いで増した。その工場は、天然乾燥で、夏の数ヵ月間だけ働いている。まわりの村のピオニェールが突撃隊《ウダールニク》を組織して、その煉瓦工場見学兼手伝いに出かけた。
ペーチャはビリンスキー村からの第一班だ。彼は、五十箇の煉瓦を型へうちこみ、それから指導者の命令に従って、労働者バラックの床をみんなで洗った。
はだしで、襟飾を赤くヒラヒラさせながら、西日の長い影をひっぱってビリンスキーへの往還をやって来たら、ペーチャは思いがけず、反対にこっち向いてやって来る親父を見つけた。
一本道の上で両方からだんだん近づいた。夏埃の深い村道を歩くのに、親父は膝まである晴着の長いルバーシカを着ている。長靴はいている。肩に樺の木箱と麻袋をかついでいる。そして西日に向う熱そうなこわい大きい顔に苦しそうな汗が流れている。ペーチャはそれを見た。が、グレゴリーの方は、まるで人間がいるのにさえ目を止めない風である。地面見たまんま進んで来る――
ペーチャは思わずそっと道ばたに一足どいた。ただごとでない。どこへ――どこへ※[#感嘆符疑問符、1−8−78]
声がペーチャの胸から喉へこみあげたが、口が動かぬ。きのう、親父はいった。
――ふう! 俺にゃ土地がねえ。息子も俺にゃ用がねえ。……土地も息子も今じゃ国家のもんだ……
ペーチャが、道ばたから動けないうちに、親父は汗をたらし、獣みたいな様子で近づき通りすぎ、一歩、一歩、遠く西日の中へ、ペーチャの来た方へ行く。
ペーチャのむく毛の生えた唇の隅は泣く前みたいにふるえだした。
六
人だかりがしている。
自分の家の前が人だかりだ。ペーチャは人だかりを遠くから見た時、再び唇の隅をふるわした。
こっちにもよくない事が起っている。――ペーチャはノロノロ歩いて行った。
――ペーチャでねえか!
――そだ! 何のそのそしてけつかる。――オーイ! 早くこい!
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