ピムキン、でかした!
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)人気《ひとけ》

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、底本のページと行数)
(例)※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66、読みは「にわとり」、245−6]
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        一

 ピムキンはパルチザンだった。――これは嘘じゃないだろう。
 緑や黄色のパルチザンじゃあなく、正真正銘赤のパルチザンだった。――これも嘘じゃないだろう。
 九十七戸あるビリンスキー村のまんなかに往還があって、人気《ひとけ》ない昼間、その往還を山羊や豚が歩いた。ちょっと左へ小丘をのぼったところに村ソヴェトの建物がある。赤いプラカートが、毎年の雪にさらされて木目をうき上らした羽目の上に張られている。
 ビリンスキー村がいよいよ集団農場として組織され、十露里さきの別な集団農場と一つのトラクター中央に属すことになった時、この小さい丘の村ソヴェトの建物は、重い村の階級的波にのしあげたように混雑した。
 古びて、少し傾いた屋根がのっかっている村ソヴェトの車寄せの前で、青年共産主義同盟員《コムソモーレツ》ニキータが、ルバーシカをしめた帯革へ片手さしこんで、片手でやけに人蔘《にんじん》色の頭をかいている。
 村人は、その様子を往還から眺め、或はもっと近く村ソヴェトの横に生えてる大きい楡の木の下のベンチから眺め、一種の感じを受ける。あるものは、地面につばをはいた。あるものは静かに水色のはげちょろけたルバーシカのポケットから粉煙草を出し、膝へ肱をつき熊手みたいな大きい指先でそれを巻きながら、ニキータの方は見ず、
 ――へえ……さあてね。
と独り言をいう。
 集団農場にするということは、実に大きいできごとで、ビリンスキー村にはいろんな委員ができた。青年共産主義同盟員《コムソモーレツ》ニキータは、集団農場加入資格詮衡委員の一人だった。一言にいえば、財産調べ委員である。富農。中農。貧農。中・貧農だけコルホーズにはいれるのである。
 三十露里ばっかり離れた上ブローホフ村は濃い樅《もみ》の林にかこまれた村である。そこのもと町で染物工場をもっていたニキフォーロフの家が、集団農場組織についての調べから家宅捜索をくって、銀のサモワール三つ、絹地総体で三百五十ヤール。真新の防寒靴《ガローシ》八足も見つけられた噂があった。
 イグナート・イグナートウッィチのところへモスクワからプラウダと農民新聞が来る。農民新聞に、ちゃんとそのことが出ていた。ビリンスキー村の連中は、
 ――畜生! 悪魔だ。何年そうして、甘い汁すってけつかった。
 ぶう! と地面へつばをはいた。ニキフォーロフは銀のサモワールを三つ納屋の乾草の中へかくしてもっていたばかりではない。実は馬を六頭、牛を七頭もっていたことが露顕したのである。
 奴は、隣村の富豪退治でやっつけられたドミトリー夫婦みたいな頓馬じゃない。自分の家のまわりをパカパカ歩かして見せびらかしなんぞしとかなかった。上ブローホフ村の貧農へ、そっとそれをみんなかしつけて、村ソヴェトの連中にコニャークをのませて、やっていたのである。
 ――こわいじゃないかねえ、マルーシャ。あいつんところじゃ、その三百五十ヤールの絹の布の、九十ヤール腐っていたそうだよ。
 桃色の布《プラトーク》をかぶった大柄なアグーシャが村の共同井戸のところで後家のマルーシャにいった。マルーシャは三十五で、去年亭主に死なれ、三人の小さい子持ちである。彼女ははだしで、担い棒の両端へバケツをつけながら、勢いよく、
 ――こわいことなんか、あるもんで! 腐れ、腐れ! 二百五十ヤールの絹が何だ。おら絹三百ヤールより、耕地で働く手がもう四、五本欲しいわ。
 そして、白い、いい歯をキラキラさせて笑いながら、
 ――おいらの村のどっかでも、大方二ヤール位の絹は腐ってるべえ。
といった。
 アグーシャは、溜息をついて、ゆっくり大きい井戸の汲上げ車をまわした。そして黙っていた。アグーシャの亭主は、村が集団農場になるときまったとき、村ソヴェトの大会からかえっても口をきかなかった。
 アグーシャはサモワールをわかし、がんじょうな身体をした、グレゴリーの前へパンを出した。そして、一杯の熱い茶を受皿にあけて、吹き吹きだまって飲み終ってからいった。
 ――何、ぶっきりしてるんね。……お前さん不服かね。村あ集団農場んなんの……。
 グレゴリーは、錐のような視線で女房を見つめ、
 ――どこにおらの利益がある?
と短く髯の中からいった。
 ――だまってろ。
 アグーシャはしばらくして、
 ――でも、おらとこのペーチャはピオニェールでねえかよ。
といった。
 ――それと何の関係がある!
 ――でも、おらとこに何損するようなもんあっぺ。
 アグーシャは、心臓をわるくして、いつも蒼い頬っぺたを、うっすり赧らめながら熱心にいった。
 ――集団農場中央から来た男もいってるでねえか、一頭の牛と※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66、読みは「にわとり」、245−6]みてえなちっちゃこいもんなんぞは集団農場へ出さねえでいいって。うちに牛が三匹もいるじゃあるめえし……。
 ――だ、だ、ま、って、ろ! わかったか。
 グレゴリーは女房をなぐらなかったが、アグーシャは、亭主を疑い出した。
 或るひるすぎ青年共産主義同盟員《コムソモーレツ》ニキータを先にたてて、財産調べの委員三人が、裏庭の、枯れた向日葵《ひまわり》と素焼きの壺をひっかけた柵のむこうへ現われた時、アグーシャは、不安ないやな気分になって、思わず地面につばをはいて手の甲で口のはたを拭いた。
 委員たちと家の内外を歩き、話し、立ったなり何か書付を柱におしつけて、なめた鉛筆でそれにやっこらと自分の名を書いてる年上の亭主のかっこうを、アグーシャは疑わしげに遠くから眺めていた。
 先妻の息子のペーチャが夕暮、隣村の学校から帰って来た。ランプがついている下で、大きい瀬戸物のスープ入れの壺のまわりへ親子がかたまり、かわりばんこに木匙をつっこんでキャベジスープをたべた。アグーシャは、ペーチャに、
 ――今日、見て来たぞ。
といった。
 ペーチャは十三だ。パンを頬ばった口へ熱いシチを流しこみながら落ついて、
 ――それで?
といった。
 アグーシャは、心のなかにある気持を説明できず、ただ肩をもちあげ、
 ――それっきりさ。
と答えた。
 グレゴリーは、シチをほんの少しずつ木匙の中にすくい、左手にもったパン切れで受け、時々にんにくを噛みながらゆっくり、ゆっくり、気難かしい顔してたべている。自分の耕地からとった一枚ずつのキャベジの葉っぱを味わって食っている風だ。アグーシャは、またペーチャにいった。
 ――何《どう》してピムキンは、何にでも鼻柱つっこむだべえ。
 ――何した?
 ――委員にくっついて来くさった。ニキータが納屋さ入ったら、自分が監督か議長みたよに柵のそとから「そうだ! そうだ! そう、やらなくっちゃなんねえ※[#感嘆符二つ、1−8−75]」って頭ふってけつかった。
 ペーチャは、めんどうくさそうに、
 ――ピムキンなんかかまうな。
といった。
 ――気がふれてるんだ。
 ――……誰かあ、いってたぞ、ピムキンがパルチザンだったってのはつくりごとだ。ただ脱走して、森んなかへかくれて、兎うったり、人間うったりして生きてただけなんだって。
 ペーチャは、しかしもうアグーシャに答えず、テーブルのあいたところへ一枚の石版刷の絵をひろげた。アグーシャは、両肱つき腹を押しつけて、パイプをふかしている詰襟服の、髪の濃いスターリンの顔を眺めた。
 長靴をはいたまんまグレゴリーはペチカの下の床几に横んなっている。横んなったまま流し眼で絵を見た。
 ――そんなの、なんぼだ?
 ――三カペイキだ。
 ペーチャが、まいた画をもって、出かけようとした。
 ――どこさいく?
 ――「文盲打破《リクベス》」だ。
 村ソヴェトの建物とは反対の、小さい池のよこに、木造の辻堂みたいな教会があった。一九二六年の旧復活祭に、屋根のてっぺんの十字架へ繩がかけられ、村のピオニェールとコムソモールとが、笑いながら力を合わせて、
 一《ラズ》! 二《ドゥワ》!
 一《ラズ》! 二《ドゥワ》!
と、その綱を地面の上からひっぱった。まわりで、村じゅうの者が、犬まで後足を池のピシャピシャに踏み入れて上を見ていた。十字架は春の陽の下でひっくりかえって、ズルズル屋根をこけた。
 そのとき隣村から来た青年共産主義同盟員女子《コムソモールカ》のイリンカが、
 ――そこ! そのまんまで!
 ファインダーをのぞきながら盛んにその辺を歩きまわり、ピシとシャッターを動かして、
 ――|よし《ガトーワ》!
 さっと村の群集に向って片手を振った。
「反宗教者《ベスボージュニキ》」にビリンスキー村農村通信員として、その事件の報告が二ヵ月後に掲載された。写真は出なかった。
 コムソモール・ヤチェイカへやって来たイリンカは、いつもより一層赤い顔して、ほんのり若々しいわきがのにおいをさせながら、
 ――だけんど、私、ちゃんと書いてある通りにやったんだよう。
 十五カペイキの「写真愛好者のために」というパンフレットと乾板とを、みんなにのぞかせた。
 ピムキンは、ニキータの肩越しにすすでいぶされたように真黒なモヤモヤだけ浮いてる乾板を眺めた。そして、気持わるく黄色い年齢も何も分らず皺だらけな自分の顔のさきで、げんこをふりながら呻った。
 ――ほれ! ほれ! これが、お前らの新文化だ!
 ――黙りな。
 イリンカが、鋭い風のようにピムキンの顔へ向っていった。
 ――私は失敗した。けど、この手でやって見たんだよ。やって見たんだ。お前さんは何をやって見たね?
 青年共産主義同盟員《コムソモーレツ》ニキータは、ほくろのある円くて暖かいイリンカのむき出した腕をとって、つよく横へひっぱった。ピムキンが、ルバーシカの裏ポケットから紙を出しかけたら、一時間はのがれられないのをニキータは知っている。
 赤旗が十字架のかわりに教会の屋根にたてられた。その秋ビリンスキー村の革命記念祭デモンストレーションは、このクラブの前からはじまった。「文盲打破《リクベス》」の夜学と農村青年教育の夜学がそこで開かれるようになった。
 ペーチャは「文盲打破《リクベス》」でニキータの助手だ。

        二

 ビリンスキー村のはずれに川がある。夏になると、草の茂った土手のこっち側では村の女たちが、ちょっと上流のあっち側では村の男たちが、水浴をやる。
 白夜でロシアの月は白く、草は青い。裸の人間の体は美しく見えた。
 土手へ出るまでの草のなかを、犬がふみつけたような小道が斜に左へきれている。その奥に丸太小舎が一軒ある。例えばメー・デーの日、その丸木と丸木の間につめてある苔や泥もくずれたような丸木小舎を見ろ。入口の戸のわれ目に細長いうすよごれた赤い布がブラ下っている。赤旗のつもりだ。
 ピムキンを見つけようと思ったら、然しこういう彼の小舎へやって来たってだめだ。彼はいつも村の中、村ソヴェトのまわりをうろついている。或は村のどっかを歩いている何かの委員のまわりにくっついている。――
 その日は、途方もないいい天気だった。
 村ソヴェトの軒からポタポタ、ポタポタ雪解水が絶え間なく落ちてきたない泥をはねとばしている。日向の雪全体が春の暖気でうき上った。雪の底から流れる水は晴れ渡った空をうつしながら、足もとを走る。毛外套《シューバ》では汗が出るうららかさだ。
 ビリンスキー村の男女は、冬じゅうにのびた鬣《たてがみ》をうるさがる馬のような眼付で、まっさおな空を眺めたり、雨だれの音を聞いたりしながら、村ソヴェトの前へ列になっていた。集団農場加入登記日なのである。
 みんなあまり口をきかない。新しく来た集団農場書記が、入って左側の室でしきりに書式を埋めてい
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