となっているのである。ファシズムに賛成しないというだけのところに限度を置いてそこに居据っていたのでは、今日の文化を進歩的な方向に進める思潮とはなり難い。更にそれから先、ではどうするかという問題が示唆されなければならない。日本の現実に即してリアリスティックに生活と芸術とに対する一般的態度としてこの示唆が必要なのである。先ずヒューマニズムを提唱している人自身が真面目にそれを一つの文芸思潮とすべき必要を自覚することが必要なのではなかろうか。
ヒューマニズムがまとまった、行動の指導力を持った文芸思潮となるにはまだ先にも言ったような距離が残されているが、ヒューマニズムの翹望が今日の多数者の心にあることの実例として、一部で希望し、一部でそれを警戒しているほど日本にファシズム文学が現れて来ないという事実がある。文学の本質から言えばこれは当然のことであるし、人間性の主張という側から見れば寧ろ消極的な形ではあるが、今日の日本の諸事情に照して見れば、なかなか見逃すことの出来ない意義を持っている。ヒューマニズムの社会的、人間的な土台はここにもかくされていると思う。小林秀雄氏が最近の時評でいち早く自身が提唱
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