の宣伝相が、芸術の「批評」を禁じて単なる鑑賞批評だけを許したことは、当時世界の視聴をその極端性でおどろかしたが、この非文化的な宣言を敢てしなければならないほど、ドイツの民衆の間には、自分の声で、人間らしい理性の具わった言論を求め、またその要求に応えているものが一方に存在しているという現実を語っているのである。
 中国に於ては、ヒューマニズムの運動は、その国の置かれている事情に従って、民族自立の問題と結びついている。先頃亡くなった中華のゴーリキイと言われた作家魯迅の存在は、全く以上のような特殊な国情を反映していた。
 さて、では日本に於けるヒューマニズムはどういう展望の下に置かれているであろうか。非常に複雑なものがある。第一日本では政治上の人民戦線が結ばれるに困難な事情があり、文化的な面から見ても、ヒューマニズムを提唱している人々自身の中に、左翼的なものを排する気分、その気分の合理化としてヒューマニズムが取上げられた傾向もあった。ヒューマニズムに於ける現実的な発展の方向をある意味では意識的にぼやかしていることは、日本に於てヒューマニズムが一つの指導的な新しい文芸思潮として高まり得ない弱点
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