られている。平林さんは作家として、人情と芸術とが一致する境地というものを求めておられる。「文学が永久に人情と背馳すべきものだという運命を負っている筈はないと思って」と。
平林さんは隠微な表現で書いておられるが、平林さんのような作家にでも、非人情という云い表わしは、人情と背馳するだけのものとして理解されるということに、私は反省も促されたし芸術上の興味も動かされた。
人情というものの内容やその理解、文学との連関は複雑な問題であり、特に現代の日本の作家は、周密にこれをとりあげ、見直さなければならないと思う。
小説を書き、或は詩を書き、評論を書くにさえ、何等かの意味でこの人生を愛す心持、書かんとする対象に対する愛、何か迸る熱いもの、それなしに書ける作家というものは凡そ存在しないであろう。作家の感受性は謂わば最も人情の機微にまで立ち入ったものであると思う。文学は、私の思うところでは、永久に人情に沿うたものである。しかも、その人情の波頭が一歩、或は数歩高まり、前進したところの形であり、また人情が一つの社会的桎梏の型に堕した時、それを身をもって破ろうとする人間の本来的感情であると思う。人情の内
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