性のなかには、こういう未開発の分野での開花も眺めわたされる訳である。
バックの作風から拡る連想の一つとして、やや一般的な作家の態度についての話題であるが、この間、読売新聞の座談会で、数人の婦人作家があつまり、いろいろ話が弾んだ。終りに近く、作家の書く態度の一つとして、私は自分が現実に対して人情に堕せず、非人情に描いて行く力を欲しているという意味のことを云った。同座していられた宇野千代さんが、それに賛成され、本当にそうしたら亭主のことでも悪く書けていい、という意味のことを云われ、私はその時大変困った。辛うじて、自分をも見る目の意味であるというような短かい言葉を註した。場所がら、非人情という私の意味は人情を否定するのでなく、その人情の曲折を描くに、人情の埒内で暖まらず、そのとことん[#「とことん」に傍点]の現実にまで触れて行こうとするには、その人情なるものをも社会的な広さから作家として把握し得なければならないという気持であるというこまごましい説明は出来なかった。
二月号の『婦人文芸』を開いたら平林たい子さんの「日記断章」という文章があり、その中で私の云った非人情という言葉がとりあげ
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