て考えていないかもしれないのである。
バックは、これまでの作品でずっと王龍一家を中心に一地方の農民の生活史を描いて来ているのだが、中国におけるヨーロッパ人と中国の民衆との接触、その錯綜は、昨今私たちの注目をひかずにいない。バックは、この面を、その着実な人間らしい目で何と見ているであろうか。どう芸術化すであろうか。私はバックの現実を観る目の力と幅、深さが益々鍛錬されて、いつかそういう題材を、阿蘭のような女や男の側から描いた作品の出ることを待望する。
日本が中国と地理的には全く近く、過去の文学的伝統の中に、あれ程深く中国文学の影響を受けながら、現代の中国の人民の生活をそれを描こうとして描いている作家は殆どないといってよい。婦人作家には全くないと云えるのではあるまいか。日本の社会的な事情は、バックのような中国におけるヨーロッパ第二世の婦人を生む条件も持たないこともあるが、一つには、明治以来日本が中国との関係においては、中国の一般人民としての日常生活の利害の上には立たず、常にその反対物としての権力関係にあったので、その微妙な反映が文学の面にもあらわれているのであろう。将来の日本の文学の豊富
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