る、それを、彼女のヨーロッパ的な教養の力、理性の力で語っているその点で、バックが中国生れのアメリカ婦人であるという特別な事情が大きいプラスとなって作用しているのである。何故なら、阿蘭の生涯を阿蘭は自分で書くだけの文化的な力は与えられていないのであるから。バックはアメリカに生れて育ったアメリカの婦人と比べれば、随分違ったいろいろのものを女としてその心の内部にもっているに違いない。だが、字も知らず、奴隷に売られる中国の貧困な女の一人ではない。大衆の生活と文学との実に微妙な関係が、バックという一人の婦人作家とその人によって描かれている中国の女の生活とを考えた場合にも考えられるのである。作品をよんで私の受けた感じは、バックがヨーロッパ人としての優越感から客観的な態度を保っているという正宗氏の批評の反対のものであった。文化の問題から、バックの身内にあるヨーロッパ人の強みをとりあげるとしても、それはバックにとって優越感として自覚されたりしているとは思えない。もしかしたら、彼女は、自分を書かしめている力が、まだ中国の一般の女には与えられていない文化の歴史的、社会的な高さを意味しているという風に分析し
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