容は一種一様のものではない。人情の内容は、出来るだけ怠けて楽をしたいという人情から、死んでもそんな奴の恩恵にはあずかりたくないという気概の領域にまで及んでいる。私たちは、一人の女として、作家として、今日人情のどういう程あいのところを生きるか、また、社会の現実との交渉の間に、私たちの女としての生活、人間としての心は、実際にどのような種類の人情を目醒まされ、かき立てられているか。それを歴史の背景の前に描こうとする時、主観の中にとじこもり、或は一般的に暖いもの、妥協的なもの、話し合いで分るものという先入観で感じられている人情のほの明りの中に溺れては、その中での歌はうたえても、現実を力強く彫り上げることは不可能であろうと思われる。私たちは、毎日の胸に軽からざる日暮しの間で、人情を打ち破り、それを打ちひしぎ、強引に進んでゆく現実の姿をまざまざと観せられてはいないだろうか。私達の生活の間には、人情として実に忍びないが云々、と云って、人情を轢き過ぎてゆく現実の事実が頻々と起っているのではないだろか。極く身近な例として、私たちは人情として誰しも自分の生活の誤謬のないことを希い、そのために努力していると
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