滅」「あら皮」ノート及び連想(小説のために。)
あらゆる情熱の動機を、形而上的なものにおいて しかも情熱の表現は愛というものを知らぬ利己と狡猾のフェドラの冷たさの凝固や 売笑婦ユーフラジーの「精神なき悪徳」からラファエリの「意思の力を集中させ、その総量を自由に動かし、そうした流動体の放射を間断なしに人々の心に向ける訓練が出来て来ると、最早こうした力に抵抗し得るものはない」[#「」」に「ママ」の注記]それが美徳であれ悪徳であれ」と考える、あらゆる層をモーラして その個別の中にタイプを見ようとしている。これはバルザックの作品の或る要石を**しよう。が、作品としてはつまらない。バルザックの、情熱のための[#「の」に「の哲学的」の注記]情熱は動物的でありすぎ知的でないから、饒舌な混迷に陥っている。全く心理的な動機を哲学的[#「哲学的」に傍点]と名づけているところに十九世紀心理学の若さがうかがわれる。
p.419 フランスには――一貫した論理というものが、政府にもなけりゃ 個々の人間にもなかった、其故道徳というものがなくなっている、今日、成功ということが、何にもあれ、すべての行為の最高の理由となっている。
p.420 外面を美くせよ 生活の裏面をかくして、一ヵ所非常に華々しいところを出して見せよ、
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これは何か肯けるところがある 現代のフランス人にも。
フランス文学が 社会の相剋と勝負するというところに伝統をもっているということも。しかし 更にその原因となった歴史的な条件はバルザックもツワイクも明かにつかんではいない。
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p.421 第二巻 カルロス エレラ僧
「儂は神を信ずる、が一層我が教団を信ずる。そうしてわが教団は地上権を信ずるのみじゃ。地上権を極めて強力ならしめんため、我が教団は使徒相伝ローマ教会――即ち人民を服従の中に保つところの諸々の感情の総体――というものを支持するのじゃ。」
「あら皮」より エミールの言[#この行はゴシック体]
p.52「僕には まるで汽車の線路のように坦々たるわれらが文明という奴の青白き生活が胸のむかつくほど堪らないんだ!」
p.48 丁度予算が その地を変えフォーブール・サン・ジェルマンからショセ・ダンタンへ移ったように、権力もまたテュルリー宮から新聞記者の手へと移ってしまっ
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