。バルザックはこれらの輝きある作家たちが、所謂現世の悪に穢されぬ崇高な本性を人間に見ようとしてそれを描こうとした、その人間の本性をさえ金に支配されずにはいられない現実をパリの場末町の散歩にまでも目撃せざるを得なかった。無財産で、しかも金が万事である世間を大きく渡ろうとする彼には金がいる、金をとるためには書かねばならない。書くとすれば、バルザックには一八三〇年代四〇年代のパリを中心として煮えたぎった生活経験しか有りよう筈がないではないか。
 テエヌは、バルザックが人類史を知らなかったから自分の生活した時代だけを特別憎悪すべきもののように思っていたと言っている。私達は、然し、そのことを又別様に考える。バルザックが、人類史を知らなかったこと、そのような本を積上げた祖父の大書庫などはないバルザの家に生れたことこそ、彼がその文学的成功においても、破綻においても、全く当時としてのリアリスト[#「当時としてのリアリスト」に傍点]たり得たことの基因であったと観るのである。
 バルザックには「理想主義がなかった。彼が偉大な作家であったに拘らず、当代の人々に完全に評価され得なかったのは、彼が精神的な指導者でなかったからである。」「彼は彼の時代を動かしていた社会主義運動を少しも理解しなかった。」そして、ブランデスは「次第に人々は彼が一定の明白な思想を持たない曖昧な人間に外ならないことに気付いた」と言っている。
 もしバルザックが、あの経済機構の看破の上に一歩進めて理想を持ち得たとしたら、それは当然の結果としてジョルジュ・サンドの理想主義のような形而上学的な性質のものではなかったろうことは明白ではなかろうか。遙に具体的で社会の現実を現実的に変更する力を備えた実践の方向、バルザックが四十七歳で「従妹ベット」を書いた年、既にブラッセルで連絡委員会を開いたマルクスが示していた歴史の発展の方向に、自身の道を発見するしか仕方がなかったであろう。
 然し彼は、その道からは恐怖をもって退いた。そして実は彼の敵であった階級の詐術にかかり、最後にはその安定を強化するための思想的代弁人の地位にさえずり込んだ悲劇の担い手としての不屈な姿を今日に示しているのである。
 しかもバルザックが遭遇したような歴史的めぐり合わせは、資本主義による階級対立の社会が続いている今日においても、その特殊な内容をもって十分智的才能者
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