バルザックに対する評価
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)抑々《そもそも》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)日夜|鎬《しのぎ》を削る

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号)
(例)イ※[#濁点付き片仮名「ワ」、1−7−82]ン・イリイッチの死
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 偉大な作家の生涯の記録とその作品とによって今日までのこされている社会的又芸術的な具体的内容は、常に我々にとって尽きぬ興味の源泉であるが、中でも卓越した少数の世界的作家の制作的生涯というものは、後代、文学運動の上に何かの意味で動揺・新たな方向への模索が生じた時期に、必ず改めて究明・再評価の対象として広汎な読者大衆の手にとりあげられるものであると思う。
 トルストイの作品とその生涯との社会的意味は、最近の過去十六七年間に彼の同時代人には見抜くことが不可能であったような生々とした歴史的・階級的特徴を明らかにして、世界文学の発展のために摂取せられたよろこばしい事実を、私共は目撃しているのである。
 一九三三年から三四年にかけて、日本ではバルザックの作品が急激に流布した。全集刊行が着手され、ゲーテ協会に対するバルザック協会が組織され、少し誇張した形容を許されるならば、文学について語るほどの者で一度もバルザックの名を口にしない者はないという現象を呈したのである。
 大体、過去においてバルザックの作品は寧ろ等閑にふせられすぎていた傾きがあった。日本の文学愛好家の大多数は、モウパッサンの作品より尠くしかバルザックを読んでいないという実状にあったと思う。それ故今日、このトゥール生れの、僅か二十年足らずの間に「人間喜劇」九十六篇のほか小論文五百十四、戯曲六篇という尨大な制作を行い、しかも生涯借金に悩まされどおしで死んだ横溢的な世界的作家に母国語で親しめるということは、我々にとって遅すぎたとしても決して早すぎて到来した機会と言えないのである。
 しかし、昨今作家及び文学愛好者の間に生じたバルザック熱ともいうべきものを、その社会的要因にまでふれて観察した場合、はたして、それが文学の正常な発展のために積極的な意味だけをもつものであると言い切れるであろうか? 答えは、おのずから複雑であろうと思われるのである
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